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橿原市 ある分譲地の誕生エピソード
20数年間建築許可が下りなかった土地を分譲地に
―6年に及ぶ交渉の結果、自然と調和したまちへ―
橿原市のある閑静なまち。自然と調和した美しい家が立ち並び、日々の暮らし、家族の笑顔が、そこにあります。しかし以前は建築許可の下りない土地として、持ち主が20数年も持て余していた過去がありました。そんな「問題ある」土地が、今の形になった経緯をご紹介します。
建築許可が下りない土地
「自分の孫に、と思い買った市街化区域の住宅地に建築が出来ない。行政は、前面道路が公道でないとして建築許可を下さない。この20数年間、何とかならないかと、色々建築設計事務所を当たったが、何もできなかった。もう社長以外に頼る相手がいない。何とかならないか。」
某東証一部上場ハウスメーカー創業者から、サンコウ設計社長への直接の依頼。
断るすべもなく「5、6年時間をいただけますか。後期高齢者である自分には相当な時間だな。」と言いながら依頼を受けたことが発端でした。
独自の提案「川上から川下まで」
地域全体は一等地の市街地に位置するが、行政から見放された地域だったこの場所。
関係者の利害関係を整理していく中で、農地を管理している土地改良区から「この道を市道にしてくれるのなら協力できる」とのヒントをいただきました。
そこで「川上から川下まで」とデベロッパー的な発想で周辺地域を巻き込んだ宅地開発を関係者に提案することになりました。
お客様からの反応は…
創業者様からは「これで、まともな土地になる。土地が売れたら孫に売買代金をあげることができる」と大喜びされ、他の地権者も「残った土地にやっと娘の家が建てることができる」と言い、また土地改良区も「やっと農道を市道にでき、市に管理してもらえる。」と喜んでいただきました。
苦労した点
ただ、この提案は一筋縄ではいかず、地権者・土地改良区・行政当局等々それぞれの主張が正しいとし、事が前に進みませんでした。そこで、この三者三様の問題を大局的な見地から解決を図ることになりました。
デベロッパー的な発想に協力してくれるスポンサー探し・土地の取りまとめ・地域の協力をいただくなど、信頼関係の構築に時間と労力を費やしました。
問題解決へ
信頼関係の構築―自身の行動にウソ偽りのないこと、川上の資金協力者・周辺地権者の協力や理解を得ること、行政と対峙者の接点を見つけ説得すること。最終的には、関係者の協力を得ることが出来たことが問題解決の決定打となりました。
その結果…
「全国各地で自社の工場用地や住宅開発のための山林等何町歩と土地買収の辣腕を振ってきた自分が、孫のためにと買った土地でミソを付け、この20数年間問題解決できなく悩んでいたが、社長ありがとう。」とお客様に大変喜んでいただき、また感謝いただきました。
各自それぞれに希望や思いがあっても、自分一人では前に進めないものです。思いをカタチにする、そのお手伝いをさせていただくことが「まちなか活性化プロジェクト」です。今、こういったことが世の中で求められていると感じています。